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竹島:独島 問題 歴史経緯表 <古代~中世> (私的推考用)

3 月 25th, 2009 | No Comments | Posted in プライベート

竹島:独島 問題 歴史経緯表 <古代~中世> (私的推考用)

あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。

月日
事件名
大項目
小項目
韓国の言い分
日本の言い分
512年 于山国は朝鮮の新羅に服属

(『三国史記』より)

1145年 『三国史記』編纂 512年に于山国は朝鮮の新羅に服属 512年に于山国は朝鮮の新羅に服属している。

後の文献にある于山島はこの于山国の一部であり、その于山島は独島である。つまり独島は512年から韓国の領土である。

1417年 宇山島の名が初めて登場

(『太宗実録』より)

1431年 『太宗実録』編纂(朝鮮) 「安撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と記されている 仮に于山島が現称:竹島であるならば、竹島は険しい岩山で、人や水牛はおろか竹や芋なども育つ環境ではない。

したがって、于山島は現称:竹島ではない。

1454年 『世宗実録』編纂(朝鮮) 「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した。」 天候が良ければ鬱陵島(=武陵)から独島が望めるので、独島が于山島である。于山国は512年に朝鮮の新羅に服属しているので、独島は朝鮮領である。
1530年 『八道総図』発行(朝鮮) 鬱陵島の西に鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。

18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼島に比定できる。

『八道総図』に描かれている于山島は、鬱陵島の西にあり、その大きさも鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。

18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼に比定できる。

したがって、于山島は現在の竹島(旧称:松島)ではない。

参考元 Wikipedia

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竹島:独島 問題 歴史経緯表 <中世~近代> (私的推考用)

3 月 25th, 2009 | No Comments | Posted in プライベート

竹島:独島 問題 歴史年表 <中世~近代> (私的推考用)

あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。

月日
事件名
大項目
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韓国の言い分
日本の言い分
1618年 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

伯耆国米子の町人が徳川幕府の許可を得て竹島(鬱陵島)に渡航 伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛ら徳川幕府から許可を得て、竹島(鬱陵島)渡海免許を下されている。

松島(現在の竹島)は漁労や鬱陵島への中継地として利用していた。

1667年 『隠州視聴合記』

松江藩士の私的備忘録

「この二島(鬱陵島と現在の竹島)は無人の地で、高麗が見えるのは、雲州から隠州を望むようだ。よって日本の北西の地で、この州をもって限りとされる。」 「この州」とは穏州(隠岐)のことであり日本の限界を隠岐としているので、この時、松島(独島)や鬱陵島が朝鮮領であることを認めているはずである。
1692年 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

鬱陵島(当時日本では「竹島」と呼ばれていた)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人53人と遭遇。
1693年 4月 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

鬱陵島にて40人の朝鮮人が来ていた。その中の2人を捕えて米子に連行した。安龍福(アンピンシャ)と朴於屯(パク・オドゥン)の二人
5月26日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

江戸より飛脚が到着、安龍福らを長崎に護送するように指示がある。
5月29日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

米子を出発。
6月 1日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

鳥府(鳥取城下)に到着。
6月 7日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

山田兵衛門、平井甚右衛門を護送役として鳥府を出発。
6月30日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

長崎に到着。
7月 1日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

長崎奉行所に両名を引き渡す。
8月14日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

対馬からの使者・一宮官助左衛門に引き渡される。
9月 3日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

対馬に到着。
鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

対馬藩主による竹島(鬱陵島)の領有主張 対馬藩主宗義倫は、交渉の使者正官・多田与左衛門の一行に帯同されて、釜山に着き、安龍福ら両名を朝鮮政府に引き渡すと共に、竹島(鬱陵島)に対する朝鮮漁民の侵入を禁ずる旨を通告
鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

対馬藩の『朝鮮通交大紀』にも、1693年に朝鮮人が「我隠州竹島に来り」と、竹島が幕府直轄領の隠岐に所属するということを表明
鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

朝鮮は日本との友好を重んじ、一事は穏便に解決をはかる方針で交渉
1695年 9月12日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

朝鮮は接慰官を釜山に派遣し、礼曹参判李 畬 の名をもって返書を対馬藩へ送り、宗氏の竹島日本領説を反駁
12月24日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

幕府から鳥取藩への質問状 老中・阿部豊後守は鳥取藩に対し17カ条からなる「御尋の御書付」の質問状送付

「因州 伯州之付候竹嶋はいつの此より両国之附属候哉、先祖領地 被下候以前よりの儀 候哉」

「竹嶋の外両国之附属の嶋有之候哉、並是又 漁採に両国の者 参候哉」など

12月25日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

鳥取藩から幕府への回答 「竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候」

「竹嶋松嶋其外両国之付属の嶋 無御座候」と回答

鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

幕府、鬱陵島の渡海禁止。友好関係を優先 幕府はその島に日本人が住んでいないこと、さらに地理的に因幡からよりは朝鮮からの方が近いことなどを考慮し、朝鮮との争いを避けることにした。

この時「兵威」を用いて鬱陵島を日本領にする案もあったが、結局は鬱陵島を放棄することとなった。

1696年 1月28日 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

鳥取藩に同島への渡海禁止を申し渡す 幕府が老中の連署でもって通告

「向後 竹島へ渡航之儀 制禁 可申付旨 被仰出之候間」と、鳥取藩主池田綱清に竹島渡航禁止を通告した。

鬱陵島を「無用の小島」と断じて鳥取藩に同島への渡海禁止を申し渡した

10月 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

朝鮮王朝の通訳官へ方針伝える 対馬藩は1696年(元禄9年)10月、新藩主を祝うために来島していた同知(通訳官の官職)の卞延郁同知と宋裕養判事に鬱陵島への渡航禁止の方針を伝えた。
1697年 1月 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

通訳官の帰国 両通訳官は翌年の1697年(元禄10年・粛宗23年)正月に帰国
2月 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

朝鮮王朝へ使者

鬱陵島への出漁を禁じた事を伝える

対馬藩は二月に、阿比留兵衛を朝鮮に渡らせ、東莱府使 李世戴に書を渡して、幕府の命により日本人の鬱陵島への出漁を禁じた事を知らせた。
1698年 3月 鬱陵島 領有紛争

(徳川幕府-朝鮮王朝)

朝鮮王朝より謝意 礼曹参議李善溥の名をもって幕閣の決定に謝意を表す
1770年 『東国文献備考』編纂(朝鮮) 「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ち倭の所謂松島である。」 このため于山=日本の松島(現呼称:竹島)であるため、竹島=韓国領

参考元 Wikipedia

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竹島:独島 問題 歴史経緯表 <近代~> (私的推考用)

3 月 25th, 2009 | No Comments | Posted in プライベート

竹島:独島 問題 歴史年表 <近代~> (私的推考用)

あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。

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事件名
大項目
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韓国の言い分
日本の言い分
1849年 リアンクール島を仏船が発見 フランスの捕鯨船 Liancourt 号が竹島(本項に詳述)を発見し、リアンクール島と名付けた(以後、日本では、りゃんこ島、リアンクール岩とも呼ばれる)。
1877年 3月29日 「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が内務省に伝達された。
1900年 10月25日 大韓帝国勅令41号で鬱陵島を江原道の郡に昇格、同時に石島(韓国では石島を独島と解釈している)も韓国領とした。
1904年 2月6日 日露戦争 勃発
1904年 8月23日 第一次日韓協約 締結
1904年 9月29日 島根県の中井養三郎が、内務省・外務省・農商務省に「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を提出。
1905年 1月28日 現呼称”竹島(旧称:松島)”について、日本政府が閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とした。
1905年 5月27日 日本海海戦
1905年 11月17日 第二次日韓協約 締結 事実上、韓国が日本の保護国となる
1910年 8月22日 韓国併合 韓国併合ニ関スル条約に基づき、日本が大韓帝国を併合。
1914年 鬱陵島が江原道から慶尚北道へと移管。
1940年 8月17日 海軍用地として、竹島が島根県から海軍省(舞鶴鎮守府)へと移管。
1945年 9月2日 ポツダム宣言受諾
1945年 11月1日 海軍省廃止により、竹島が大蔵省へと移管。
1946年 1月29日 GHQ指令覚書による竹島施政権の暫定的停止 連合国軍最高司令官総司令部覚書(SCAPIN(SCAP Institutions)677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」)により、

竹島に対する日本政府の施政権が暫定的に停止。

1946年 6月22日 GHQ指令覚書によりマッカーサーライン制定

竹島周辺での漁業制限

連合国軍最高司令官総司令部覚書(SCAPIN1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」)によりマッカーサー・ラインが制定され、竹島周辺海域での漁業活動に制限が加えられた。
1948年 8月13日 大韓民国建国 初代大統領 李承晩 就任
1951年 8月10日 ラスク書簡「竹島は日本の領土」 ラスク書簡により「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示された。
1952年 1月18日 李承晩ライン事件 韓国政府が李承晩ラインを宣言。
1952年 4月28日 サンフランシスコ平和条約が発効
1953年 1月12日 李承晩ライン事件 韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕 日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。
1953年 2月4日 第一大邦丸事件 済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。 済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。

この竹島問題によって、日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。

1953年 4月20日 韓国の独島義勇守備隊、初駐屯
1953年 6月27日 日本による韓国漁民6名強制退去 日本国海上保安庁と島根県が竹島の調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。難破後、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。
1953年 7月12日 独島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲
1954年 8月15日 ヴァン・フリート特命報告書 朝鮮戦争を共に戦ったジェームズ・ヴァン・フリートが大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、ヴァン・フリート特命報告書を作成。

竹島問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカの意向を、非公式に韓国に伝達した等の事を大統領に報告した。

1954年 9月25日 日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府はこれに応じず。
1954年 11月30日 韓国側による日本警備艇への砲撃 韓国側が竹島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。
1956年 4月 韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐。
1956年 12月25日 独島義勇守備隊解散
1965年 李承晩ライン事件 李承晩ライン廃止 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約が調印され、李承晩ラインが廃止された。

竹島問題は紛争処理事項であるとされたが、その後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉のテーブルに着いていない。

1977年 2月5日 福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。
1982年 11月16日 韓国、竹島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。
1997年 11月 韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。 日本政府は抗議。
1998年 12月 韓国、有人灯台設置。 日本政府は抗議。
2004年 1月 韓国、竹島を図柄にした切手を発行。 日本政府は抗議。
2004年 2月17日 日本郵政公社、竹島の写真付き切手の発行を拒否。
2004年 3月1日 「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。
2005年 3月16日 竹島の日 可決 島根県議会が、竹島の日条例を可決。
2005年 6月9日 独島の月 可決 慶尚北道議会が島根県に対抗して10月を独島の月とし、日本との交流を制限する条例を制定。
2006年 4月6日 ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員がラジオ放送にて国際法上で領土紛争地域化する戦略を発表。
2008年 2月 日本外務省は「竹島問題を理解するための10のポイント」という日本領有権の正当性を訴える広報を日本語・英語・韓国語の3言語でホームページに掲載(その後、10言語に増加)。

これを受け韓国外交通商部も同年8月「独島に対する基本的な立場」とする領有権を主張する広報をホームページに掲載。

2008年 10月22日 北東アジア歴史財団独島研究所をVANKの支援主体とするとともに李明博大統領の指示で予算支援を続けることを発表。

参考元 Wikipedia

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