竹島:独島 問題 歴史経緯表 <中世~近代> (私的推考用)
竹島:独島 問題 歴史年表 <中世~近代> (私的推考用)
あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。
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年
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月日
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事件名
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大項目
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小項目
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韓国の言い分
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日本の言い分
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| 1618年 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
伯耆国米子の町人が徳川幕府の許可を得て竹島(鬱陵島)に渡航 | 伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛ら徳川幕府から許可を得て、竹島(鬱陵島)渡海免許を下されている。
松島(現在の竹島)は漁労や鬱陵島への中継地として利用していた。 |
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| 1667年 | 『隠州視聴合記』
松江藩士の私的備忘録 |
「この二島(鬱陵島と現在の竹島)は無人の地で、高麗が見えるのは、雲州から隠州を望むようだ。よって日本の北西の地で、この州をもって限りとされる。」 | 「この州」とは穏州(隠岐)のことであり日本の限界を隠岐としているので、この時、松島(独島)や鬱陵島が朝鮮領であることを認めているはずである。 | |||
| 1692年 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
鬱陵島(当時日本では「竹島」と呼ばれていた)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人53人と遭遇。 | ||||
| 1693年 | 4月 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
鬱陵島にて40人の朝鮮人が来ていた。その中の2人を捕えて米子に連行した。安龍福(アンピンシャ)と朴於屯(パク・オドゥン)の二人 | |||
| 5月26日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
江戸より飛脚が到着、安龍福らを長崎に護送するように指示がある。 | ||||
| 5月29日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
米子を出発。 | ||||
| 6月 1日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
鳥府(鳥取城下)に到着。 | ||||
| 6月 7日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
山田兵衛門、平井甚右衛門を護送役として鳥府を出発。 | ||||
| 6月30日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
長崎に到着。 | ||||
| 7月 1日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
長崎奉行所に両名を引き渡す。 | ||||
| 8月14日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
対馬からの使者・一宮官助左衛門に引き渡される。 | ||||
| 9月 3日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
対馬に到着。 | ||||
| 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
対馬藩主による竹島(鬱陵島)の領有主張 | 対馬藩主宗義倫は、交渉の使者正官・多田与左衛門の一行に帯同されて、釜山に着き、安龍福ら両名を朝鮮政府に引き渡すと共に、竹島(鬱陵島)に対する朝鮮漁民の侵入を禁ずる旨を通告 | ||||
| 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
対馬藩の『朝鮮通交大紀』にも、1693年に朝鮮人が「我隠州竹島に来り」と、竹島が幕府直轄領の隠岐に所属するということを表明 | |||||
| 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
朝鮮は日本との友好を重んじ、一事は穏便に解決をはかる方針で交渉 | |||||
| 1695年 | 9月12日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
朝鮮は接慰官を釜山に派遣し、礼曹参判李 畬 の名をもって返書を対馬藩へ送り、宗氏の竹島日本領説を反駁 | |||
| 12月24日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
幕府から鳥取藩への質問状 | 老中・阿部豊後守は鳥取藩に対し17カ条からなる「御尋の御書付」の質問状送付
「因州 伯州之付候竹嶋はいつの此より両国之附属候哉、先祖領地 被下候以前よりの儀 候哉」 「竹嶋の外両国之附属の嶋有之候哉、並是又 漁採に両国の者 参候哉」など |
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| 12月25日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
鳥取藩から幕府への回答 | 「竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候」
「竹嶋松嶋其外両国之付属の嶋 無御座候」と回答 |
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| 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
幕府、鬱陵島の渡海禁止。友好関係を優先 | 幕府はその島に日本人が住んでいないこと、さらに地理的に因幡からよりは朝鮮からの方が近いことなどを考慮し、朝鮮との争いを避けることにした。
この時「兵威」を用いて鬱陵島を日本領にする案もあったが、結局は鬱陵島を放棄することとなった。 |
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| 1696年 | 1月28日 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
鳥取藩に同島への渡海禁止を申し渡す | 幕府が老中の連署でもって通告
「向後 竹島へ渡航之儀 制禁 可申付旨 被仰出之候間」と、鳥取藩主池田綱清に竹島渡航禁止を通告した。 鬱陵島を「無用の小島」と断じて鳥取藩に同島への渡海禁止を申し渡した |
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| 10月 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
朝鮮王朝の通訳官へ方針伝える | 対馬藩は1696年(元禄9年)10月、新藩主を祝うために来島していた同知(通訳官の官職)の卞延郁同知と宋裕養判事に鬱陵島への渡航禁止の方針を伝えた。 | |||
| 1697年 | 1月 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
通訳官の帰国 | 両通訳官は翌年の1697年(元禄10年・粛宗23年)正月に帰国 | ||
| 2月 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
朝鮮王朝へ使者
鬱陵島への出漁を禁じた事を伝える |
対馬藩は二月に、阿比留兵衛を朝鮮に渡らせ、東莱府使 李世戴に書を渡して、幕府の命により日本人の鬱陵島への出漁を禁じた事を知らせた。 | |||
| 1698年 | 3月 | 鬱陵島 領有紛争
(徳川幕府-朝鮮王朝) |
朝鮮王朝より謝意 | 礼曹参議李善溥の名をもって幕閣の決定に謝意を表す | ||
| 1770年 | 『東国文献備考』編纂(朝鮮) | 「鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ち倭の所謂松島である。」 | このため于山=日本の松島(現呼称:竹島)であるため、竹島=韓国領 |
参考元 Wikipedia他
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