竹島:独島 問題 歴史経緯表 <古代~中世> (私的推考用)
竹島:独島 問題 歴史経緯表 <古代~中世> (私的推考用)
あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。
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年
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月日
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事件名
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大項目
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小項目
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韓国の言い分
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日本の言い分
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| 512年 | 于山国は朝鮮の新羅に服属
(『三国史記』より) |
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| 1145年 | 『三国史記』編纂 | 512年に于山国は朝鮮の新羅に服属 | 512年に于山国は朝鮮の新羅に服属している。
後の文献にある于山島はこの于山国の一部であり、その于山島は独島である。つまり独島は512年から韓国の領土である。 |
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| 1417年 | 宇山島の名が初めて登場
(『太宗実録』より) |
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| 1431年 | 『太宗実録』編纂(朝鮮) | 「安撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と記されている | 仮に于山島が現称:竹島であるならば、竹島は険しい岩山で、人や水牛はおろか竹や芋なども育つ環境ではない。
したがって、于山島は現称:竹島ではない。 |
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| 1454年 | 『世宗実録』編纂(朝鮮) | 「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した。」 | 天候が良ければ鬱陵島(=武陵)から独島が望めるので、独島が于山島である。于山国は512年に朝鮮の新羅に服属しているので、独島は朝鮮領である。 | |||
| 1530年 | 『八道総図』発行(朝鮮) | 鬱陵島の西に鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。
18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼島に比定できる。 |
『八道総図』に描かれている于山島は、鬱陵島の西にあり、その大きさも鬱陵島と同程度の大きさで描かれている。
18世紀後半以降の古地図の于山島は、全て鬱陵島近傍の竹嶼に比定できる。 したがって、于山島は現在の竹島(旧称:松島)ではない。 |
参考元 Wikipedia他
Tags: 于山国, 日韓, 独島, 独島問題, 竹島問題, 領有権, 鬱陵島