3 月 25th, 2009 | |
Posted in プライベート
竹島:独島 問題 歴史年表 <近代~> (私的推考用)
あくまで自分なりに考えをまとめるために作っているものです。でも間違っていたらコメントよろしくお願いします。
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年
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月日
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事件名
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大項目
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小項目
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韓国の言い分
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日本の言い分
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| 1849年 |
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リアンクール島を仏船が発見 |
フランスの捕鯨船 Liancourt 号が竹島(本項に詳述)を発見し、リアンクール島と名付けた(以後、日本では、りゃんこ島、リアンクール岩とも呼ばれる)。 |
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| 1877年 |
3月29日 |
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「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が内務省に伝達された。 |
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| 1900年 |
10月25日 |
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大韓帝国勅令41号で鬱陵島を江原道の郡に昇格、同時に石島(韓国では石島を独島と解釈している)も韓国領とした。 |
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| 1904年 |
2月6日 |
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日露戦争 勃発 |
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| 1904年 |
8月23日 |
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第一次日韓協約 締結 |
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| 1904年 |
9月29日 |
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島根県の中井養三郎が、内務省・外務省・農商務省に「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を提出。 |
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| 1905年 |
1月28日 |
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現呼称”竹島(旧称:松島)”について、日本政府が閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とした。 |
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| 1905年 |
5月27日 |
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日本海海戦 |
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| 1905年 |
11月17日 |
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第二次日韓協約 締結 |
事実上、韓国が日本の保護国となる |
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| 1910年 |
8月22日 |
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韓国併合 |
韓国併合ニ関スル条約に基づき、日本が大韓帝国を併合。 |
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| 1914年 |
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鬱陵島が江原道から慶尚北道へと移管。 |
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| 1940年 |
8月17日 |
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海軍用地として、竹島が島根県から海軍省(舞鶴鎮守府)へと移管。 |
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| 1945年 |
9月2日 |
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ポツダム宣言受諾 |
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| 1945年 |
11月1日 |
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海軍省廃止により、竹島が大蔵省へと移管。 |
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| 1946年 |
1月29日 |
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GHQ指令覚書による竹島施政権の暫定的停止 |
連合国軍最高司令官総司令部覚書(SCAPIN(SCAP Institutions)677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」)により、
竹島に対する日本政府の施政権が暫定的に停止。 |
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| 1946年 |
6月22日 |
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GHQ指令覚書によりマッカーサーライン制定
竹島周辺での漁業制限 |
連合国軍最高司令官総司令部覚書(SCAPIN1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」)によりマッカーサー・ラインが制定され、竹島周辺海域での漁業活動に制限が加えられた。 |
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| 1948年 |
8月13日 |
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大韓民国建国 |
初代大統領 李承晩 就任 |
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| 1951年 |
8月10日 |
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ラスク書簡「竹島は日本の領土」 |
ラスク書簡により「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示された。 |
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| 1952年 |
1月18日 |
李承晩ライン事件 |
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韓国政府が李承晩ラインを宣言。 |
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| 1952年 |
4月28日 |
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サンフランシスコ平和条約が発効 |
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| 1953年 |
1月12日 |
李承晩ライン事件 |
韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕 |
日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。 |
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| 1953年 |
2月4日 |
第一大邦丸事件 |
済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。 |
済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。
この竹島問題によって、日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。 |
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| 1953年 |
4月20日 |
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韓国の独島義勇守備隊、初駐屯 |
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| 1953年 |
6月27日 |
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日本による韓国漁民6名強制退去 |
日本国海上保安庁と島根県が竹島の調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。難破後、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。 |
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| 1953年 |
7月12日 |
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独島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲 |
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| 1954年 |
8月15日 |
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ヴァン・フリート特命報告書 |
朝鮮戦争を共に戦ったジェームズ・ヴァン・フリートが大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、ヴァン・フリート特命報告書を作成。
竹島問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカの意向を、非公式に韓国に伝達した等の事を大統領に報告した。 |
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| 1954年 |
9月25日 |
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日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府はこれに応じず。 |
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| 1954年 |
11月30日 |
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韓国側による日本警備艇への砲撃 |
韓国側が竹島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。 |
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| 1956年 |
4月 |
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韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐。 |
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| 1956年 |
12月25日 |
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独島義勇守備隊解散 |
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| 1965年 |
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李承晩ライン事件 |
李承晩ライン廃止 |
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約が調印され、李承晩ラインが廃止された。
竹島問題は紛争処理事項であるとされたが、その後韓国は竹島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉のテーブルに着いていない。 |
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| 1977年 |
2月5日 |
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福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。 |
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| 1982年 |
11月16日 |
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韓国、竹島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。 |
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| 1997年 |
11月 |
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韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。 |
日本政府は抗議。 |
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| 1998年 |
12月 |
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韓国、有人灯台設置。 |
日本政府は抗議。 |
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| 2004年 |
1月 |
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韓国、竹島を図柄にした切手を発行。 |
日本政府は抗議。 |
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| 2004年 |
2月17日 |
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日本郵政公社、竹島の写真付き切手の発行を拒否。 |
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| 2004年 |
3月1日 |
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「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。 |
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| 2005年 |
3月16日 |
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竹島の日 可決 |
島根県議会が、竹島の日条例を可決。 |
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| 2005年 |
6月9日 |
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独島の月 可決 |
慶尚北道議会が島根県に対抗して10月を独島の月とし、日本との交流を制限する条例を制定。 |
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| 2006年 |
4月6日 |
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ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員がラジオ放送にて国際法上で領土紛争地域化する戦略を発表。 |
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| 2008年 |
2月 |
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日本外務省は「竹島問題を理解するための10のポイント」という日本領有権の正当性を訴える広報を日本語・英語・韓国語の3言語でホームページに掲載(その後、10言語に増加)。
これを受け韓国外交通商部も同年8月「独島に対する基本的な立場」とする領有権を主張する広報をホームページに掲載。 |
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| 2008年 |
10月22日 |
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北東アジア歴史財団独島研究所をVANKの支援主体とするとともに李明博大統領の指示で予算支援を続けることを発表。 |
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参考元 Wikipedia他
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